2014年6月24日火曜日

『だるまちゃんとやまんめちゃん』のモデルは? ー加古里子さんのエッセー再録


6月にハードカバー化された『だるまちゃんとやまんめちゃん』は、月刊絵本「こどものとも」で2006年7月号に刊行された作品です。
毎月「こどものとも」には、作者のことばを掲載した折り込み付録がついています。2006年当時の折り込み付録に掲載された、加古里子さんのエッセーを再録します。どうぞ、お楽しみください。

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赤い頬のマタギの少女
加古里子

こんどのだるまちゃんのお相手は、やまんばの娘「やまんめちゃん」です。昔話に出てくる山婆、山母、山女、仙女は恐ろしい妖怪が多いのですが、それは古代の私たちの先祖が畏敬していた山神が垂迹堕変(すいじゃくだへん)したものといわれています(確かに当家の山神も恐怖の存在なのは事実です)。しかし山々の鳥獣草木に依存して生活していた山家(さんか 本来は山窩)やマタギと呼ばれた人々は、常に敬虔な態度で自然に接し守護し、利用や採取狩猟の際は夫々の神に許認の手続きと丁重細心の配慮と行動で臨んでいました。そうした山家の人々の思念や行為がやがて里人に伝授伝承されて各種の行事風習に残り、山姥ものと言われる芸能に影響した跡を見ることができます。
しかし最も重要で不可欠な、自らの生命も自然の一部である自覚や、共存共生の生活精神が次第にうすれ、単なる奇妙古風な祭祀風俗や異境の怪奇惨虐説話となっているのは残念の極みです。
古代山間での貧弱過酷な生活ゆえ、自然との共存とか鳥獣もまた神とか唱えたので、広い田畑での農作生産や、漁猟牧畜の収穫によって得た多数の利便生活や近代社会には、そんなもの不必要という向きもあるでしょう。
だが資本経済の効率追求、科学技術の乱使誤用、過飾な消費欲求は、山地どころか地球全域の自然を消耗壊滅する域に達し「循環持続可能な生活と社会」といいながら今なお最大の環境破壊、資源浪費である武力紛争が続く状況です。

50数年前若年の私は長野と新潟の県境の山家で数日お世話になりました。その折、現在の私と同年の古老から、珍しい山の話や、厳とした自然に対する態度と清々しい心を教えてもらいました。その時、毎日渓谷をこえて老人の食事の世話にくる赤い頬の少女の面影をやまんめちゃんに重ねて描きました。どうぞだるまちゃん同様に可愛がってください。
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