大人にとっては大変な雪も、子どもにとっては何よりの遊び相手だったりします。今日は、雪がふった寒い日にだるまちゃんとうさぎちゃんが楽しんだ外遊びや室内遊びをテーマにした『だるまちゃんとうさぎちゃん』について、加古さんが刊行当時に寄稿された文章をご紹介します。
雪だるまや、雪うさぎ、手袋人形やうさぎりんごの作り方。たくさん遊びがつまった作品に、加古さんが込めた思いをぜひご一読ください。
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『だるまちゃんとうさぎちゃん』について 加古里子
さて今回は、だるまちゃんの相手役に、いろいろ自薦他薦(?)の候補があった中からうさぎちゃんを、季節性から考えて選ぶことにしました。童画的に擬人化して描いてありますが日本にいちばん多くすんでいるノウサギやユキウサギをモデルとしましたので、耳の先が黒くなっている冬毛の様子や足跡の形などを見ていただければさいわいだと思います。
しかしこの第三作は、だるまちゃんとうさぎちゃんを登場させてはいますが、慧眼な読者の方々は、いち早く見抜かれたように、なにをかくそう、その主役は「遊び」であり、それが主題となっているのです。自分の作品について説明を加えたり、解説をトクトクと述べるのはあまり好まないのですが、第三作をこんな形にしたことについては、二つのひそかな理由に基づいています。
その第一の理由は、わたしにとって最近の子どもの本が、どうもその当の対象である子どもをさておいて、作家や画家や、親や先生や編集者や出版社、ときによると審査員や評論家たち――要するにおとなの考えのまにまに、主張の波のゆさぶりや論争の潮流につれて、花々しく刊行され虚名を博しているのではないかという傾向がどうも気になって仕方がなかったからです。
たくさんの子ども向けの本が、数多く、そして家庭や学級では買い切れないほど出版されていますが、子どもたちが求めている本を、子どもたちが手に入れられる範囲の限界の中で実現しようという試みは、多くの読書運動の中で、まだまだ発展していかないのはなぜなのでしょうか? これがわたしをして、このような形の本をつくらせた一つの理由です。
いま一つの理由は、一度読んだり見てしまったら、それっきりというのでなく、子どもたちが何度となく必要になったり思いかえしたり、そしてそのたびごとにひっくりかえしたり、ひとりだけでなく友だちや家族を交えた中で実際的に試みたり討論や意見や、さらには次の段階へ読者をひきあげていくような、そんな積極性を持たせたい、そういう渦の震源地の本でありたいと念じたからです。さてその結果は、きびしい子どもたちの面接的な批判を待つほかはありません。
(「こどものとも」201号 1972年12月号折り込み付録より転載)